書評 「発達障害の診断と治療 ADHDとASD」榊原洋一、神尾陽子 著

 本書は小児科医榊原洋一、児童精神科医神尾陽子両氏による注意欠陥・多動症(ADHD)および自閉スペクトラム症(ASD)における障害概念の歴史的経緯と診断分類、ライフコースに沿った経過、疫学/併存症、アセスメント、治療を最新のエビデンスを提示しながら詳説された標準テキストである。ADHD/ASDの啓蒙書は多数あるが、臨床現場に立ちながら、多数のデータに眼を配った上で、役に立つこつ・・も併せて記載された書物は多くはない。

 外来に様々な困りごとを抱えた患者・家族が訪れた時、我々は持っている知識を総動員して、即興で病態把握に努める。患者が診断をぶら下げてくるわけもなく、その視線、所作、雰囲気、わずかな言葉、もしくは溢れる言葉から想像するしかない。言語化を拒絶する暗黙知の世界がそこにある。暗黙知の世界は繰り返し観察した経験の蓄積からしか見えては来ない。それを本書では両氏の経験と多数の文献渉猟により、能う限り言語化し、現在のADHD/ASDの病態把握と対応のこつ・・がわかりやすく述べられている。障害概念の歴史的経緯、診断分類から治療の項まで読むことで原因も病態も多種多様で、揺れ幅は大きく、いまだ整理の途上にあり、一人ひとりのADHD/ASDに対する個別の配慮の重要性が浮かび上がる。併存症とライフステージでの発現の違い、小児期の発達と通過の仕方の成人期への影響、性差による受診行動の違い(女性患者の診断の遅れ)、Optimal outcome(最適な予後、小児期にASDと診断されるも、成人期には診断基準を満たさなくなる症例)などが紹介される。

 私は医学部以外の学生に「発達障害」の講義をする際には、村田沙耶香の2016年芥川賞受賞作「コンビニ人間」を参考図書として挙げている。作品中にASDという言葉は全く出ては来ないが、ASD特性を持つ女性がどのように世界をとらえ、世界から疎外されているか、それでも生き延びる道を探っていく過程が書かれている。36歳未婚、彼氏なし。コンビニのバイト歴18年。「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる。決して仲の悪くはない妹から「お願いだから普通になってよ」と言われる。

 一昔前は世界の部品のひとつになって働くことは「克服すべき,否定されるべき」ことであったのだが、ここでは部品になることで世界にとけ込めた安堵がある。それを奴隷の喜びとみなすか、そんなことは意に介さず孤立よりも世界との融和とみなすかは問わない。部品で結構というしたたかさがある。「自己否定」という言葉も一世を風靡したが、この主人公は自己肯定の端緒を探り、頭の中の膨大なマニュアルを駆使し、普通に振る舞う方略を探り、疲れ果てる。神尾のいう「カモフラージュ」が適応の限界を超える。救いがないかといえばそうでもなく、ASDの持つ「受動性」が、いつしか「能動性」に変容する様子もうかがえる。

 本書では、日本がかつて範としたドイツ医学の病理(原因)を重視する病態把握よりも、病理(原因)はひとまず置いて、因果論から抜け出し、眼前の患者家族の困りごとにまず対処しようというプラクティスが語られる。近代医学は身体疾患を精密機械の不具合として、それを如何に修繕するかに腐心して発達してきたが、それはとりもなおさずヒトが因果関係で説明できる精密機械の側面を持つからである。ではADHD/ASDはどうか。いまだ状態像の寄せ集めから診断・治療に向かうしかない段階である。あまりにrigidな診断・治療・ケア理論を推しすぎると当たればセンスがいい、外れたらセンスが悪いというだけの話になる。

 本書は、あくまでも現場からの視点を堅持し、我々が、暗黙知の領域にあるといっても過言ではないADHD/ASDの病態に対応し、悩む時の羅針盤のような役割を持っているといえる。


以上は榊原洋一、神尾陽子著「発達障害の診断と治療 ADHDとASD」診断と治療社、2023年の書評(チャイルドヘルス 26 (9), 701-701, 2023)として書いたものに出版社の許可を得た上で加筆したものである。