コロナクラスターの真っ最中、大晦日に、まだ患者は0であった時の7病棟を尋ねると入り口に江戸時代の俳人一茶の名句「ともかくもあなたまかせの年の暮」が書いてあった
一致団結などと息苦しい毎日をより息苦しくするかけ声より、他力本願でよいと思った
仏教で他力本願とは他人任せ、成り行き任せということではなく、自分ひとりでできることは大したことではないということを知ることである
この句は娘を幼くして亡くした一茶が、失意の中でその年の暮れに作ったとされる
一茶も浄土真宗の門徒であった
浄土真宗的には「あなたまかせ」のあなたは「阿弥陀如来」ということになるが、ここは「私」の側に力点を置いて、自分の卑小さを思い知り、そのまま受け入れ、身を屈して立ち向かおうとする態度の表明と解釈したい
これを機に一茶の句を眺めてみた
上記句の2年後(59才)一茶は転倒による外傷性脳梗塞により片麻痺となり九死に一生を得て次の句を詠んだ
娑婆とは苦しみに満ちた現世のこと
九死に一生を得て生き伸び、ここからは「丸儲け」、凡夫としてあるがままに現状を受け入れようとした
渡邊弘によると
晩年になるにしたがい、老いの一層の深まりと強い死の自覚により、阿弥陀さまにおすがりしようとする「あなた任せ」としての「来世的志向」と、この現実のうき世で遊民や凡夫として「娑婆遊び」していこうとする「現世的志向」が矛盾することなく、素直に一茶の中で純化し融合していった
(渡邊弘 一茶晩年の死生観−「自力」と「他力」の中間者(凡夫)としての共生的生き方− 作大論集 2015;5:1-14)
「老い」と「衰え」は異なる
身体的には老いても創作意欲は衰えなかったようにみえる
4人の子どもの夭折、晩年の遺産相続をめぐる骨肉の争い、身体的不如意は極まった中でその時代の「平和」は享受していた
ミサイルに怯えることもなく、殺すか殺されるかという切迫もなく、現在の日本は独自の世界にいるように見える
これは悪いことではない
「平和」は、その実質がどうであれ、享受した方がよいのだ
若者の享楽を前にして老いた者は清貧を説きたがるが、そこでの清貧は「衰え」のひとつの姿である
ゲームにうつつをぬかす、明日着ていく洋服に悩む、明日の大谷は打ってくれるか、子どもの宿題はできたか、TVのクズ芸人、クズ文化人に物申す、こんなことが人の生死を心配せずにできることを平和という
こういう些細な享楽は戦地にもあるだろうが、明日の命を心配しながらであるところが違う
2月11日の島田公開シンポジウムではコロナ禍で得たものと失ったものを考えてみたい
ことしから丸儲(まるもうけ)ぞよ娑婆(しゃば)遊び