かつて、重度の障害児達は「治る見込みがない」と、児童福祉施設への入所が認められないことがありました。昭和33年11月、重症心身障害児とその家族を救済する為に、施設づくりの運動が始まり、篤志家、島田 伊三郎・与志夫妻が本協会の趣旨に賛同され、約1万坪の土地(現在地)を寄贈されたことが契機になり「日本心身障害児協会」が発足しました。当時、重症心身障害児施設は児童福祉法の適用が認められず、国からの建設援助も受けられませんでしたが、財界・民間の補助団体、一般市民の人達への援助を呼び掛け、多大なるご支援ご協力を頂いた結果、昭和36年5月重症心身障害児施設「島田療育園」(現・島田療育センター)が開設しました。
そして重い障害児を抱え、将来を危惧する父母達の力強い運動により、昭和42年8月児童福祉法の一部改正が行われ重症心身障害児施設が法的に認められ、児・者一貫として運営されことになりました。
これにより施設が整備・拡充され、現在では約240名の方が入所して生活をされています。(うち10名分の病床は短期入所として開放し、在宅の重症児者の生活に苦労されているご家族の支援をしています。)
平成3年10月には、南多摩地区で初めて、在宅重症心身障害児(者)の療育を目的としたデイケアセンター定員45名(東京都委託通園施設)が併設されました。
平成23年4月からは、東京都八王子市台町の都立八王子小児病院が府中へ移転したあとに設置された八王子市小児・障害メディカルセンター内に「島田療育センターはちおうじ」を開設し、療育診療部門・小児診療部門(こどもクリニック「えみんぐ」)・発達支援部門(発達障害支援室「からふる」)・通所部門を運営しております。
また平成25年度からは改正児童福祉法及び障害者総合支援法の施行により、18歳未満の方は「医療型障害児入所」、18歳以上の方は「医療型療養介護」として運営されることになり、通所事業も「児童発達支援センター」及び「生活介護」に名称が変わりました。
当法人そして私達は、法律が変わっても、地域における障害児(者)療育支援サポートセンターとして、初心を忘れることなく、社会福祉法人の公共性と、より質の高いサービス提供を目指し、地域支援の責務を果たしていきたいと、深く思っています。
当法人と島田療育センターに関する年表
昭和10年 | 小林提樹 慶応大学医学部卒業・同学部小児科 助手 |
昭和13年 | 小林提樹 慶応大学医学部小児精神衛生相談所を開設 |
昭和21年 | 小林提樹 日本赤十字社産院小児部長(~35年10月) |
昭和25年 | 島田伊三郎次男 良夫が慶応大学病院小児神経科衛生相談所の小林提樹を受診 島田氏に対して、「同じ悩みの方々が多勢おられる事ですから、良夫ちゃんだけのことではなく、一緒に共同にそうゆう家をもたれたほうが、よくないでしょうか」と助言 |
昭和31年 | 島田伊三郎氏、小林提樹へ重症心身障害児施設建築の話を持ちかける |
昭和32年 | 島田伊三郎氏、東京都南多摩郡多摩村落合中沢(現 多摩市中沢1-31-1)約1万坪の土地買収 |
昭和33年 | 日本心身障害児協会 発足 |
昭和34年 | 日本心身障害児協会事務所併設の心身障害児外来診療所(日本心身障害児診療所)を開設 島田伊三郎氏、東京都南多摩郡多摩村(現多摩市中沢1-31-1)約1万坪の土地を日本心身障害児協会に寄贈 |
昭和35年 | 島田療育園建設開始 小林提樹 日赤産院を辞職、協会専任になる |
昭和36年 | 島田療育園開設(定床50) 小林提樹 島田療育園園長就任 |
昭和37年 | 島田療育園後援会 発足 |
昭和38年 | 第二期工事終了(定床 療育園101 乳児院12) 島田療育園開園式開催 来賓200名で盛大に行われた 小林提樹 日本心身障害児協会診療所長・協会専務理事辞職、園長業務に専念 社会福祉法人日本心身障害児協会 島田療育園乳児院開設 |
昭和39年 | 第三期工事終了(定床 療育園157 乳児院12) |
昭和42年 | 児童福祉法の一部改正により、重症心身障害児施設の設置が承認 |
昭和43年 | 皇太子妃美智子様ご来園 重症心身障害児の法制化により乳児院廃止 |
昭和49年 | 小林提樹 島田療育園園長辞任、名誉園長就任 多摩市の小学校より教師が派遣され「訪問学校」が開始 |
昭和50年 | 島田療育センターを守る会 発足 |
昭和58年 | リハビリテーション科 開設 |
昭和59年 | 短期入所20床 開始 |
昭和60年 | 臨床心理科 開設 |
平成3年 | 東京都要綱に基づく重症心身障害児(者) デイケア事業 開始 |
平成4年 | 「島田療育園」から「島田療育センタ-」へ名称変更。 |
平成5年 | 小林提樹 逝去 |
平成6年 | センターニュース創刊「島田訪問学級」が「島田分教室」に名称変更、高等部設置 |
平成9年 | 東京都委託の障害児者地域療育等支援事業開始 |
平成10年 | 「島田療育センターの理念」「療育の指針」「療育のこころえ」制定 |
平成13年 | 島田療育センターホームページ立ち上げ地域サポートセンター(仮称)の設立・ピコピコルーム 開設。 作業活動の名称を 「ほっとステーション」に改称。 |
平成14年 | 島田療育センター シンボルマーク完成 |
平成15年 | 「愛はすべてをおおう」発刊 看護部・育務部、KOMIチャートシステムの導入 |
平成16年 | 看護部・育務部が合併、療育部となる 在宅訪問看護事業(現 ライフケア島田あおぞら)開始 |
平成17年 | 吉原健二 会長就任 山川常雄 理事長就任 摂食・言語発達外来 開始 支援部発足 |
平成18年 | 発達支援センター 発足 栄養サポートチーム(NST)室 発足 |
平成19年 | 情報資料室くつろぎ 開設 |
平成20年 | 栄養管理部及び医療安全部 発足 |
平成21年 | 医務部歯科診療科 開設 |
平成23年 | 創立50周年 島田療育センターはちおうじ 開設 |
平成25年 | 後援会 閉会 後援会基金立ち上げ 発達支援センターセブンクローバー 開設 |
平成26年 | 相談支援センター しまだ 開設 |
平成29年 | 山川常雄 理事長辞任 河幹夫 理事長就任 |
平成31年/令和元年 | 書籍「重症心身障害者の療育&日中活動マニュアル」発刊 |
令和2年 | コロナ禍におけるオンライン面会/オンライン診療開始 |
令和3年 | 島田療育センター創立60周年 島田療育センターはちおうじ創立10周年 |
令和4年 | 第47回日本重症心身障害学会学術集会 開催 |
令和5年 | 木実谷哲史名誉院長 瑞宝小綬章受章 |